鶴岡市出身の関東軍参謀石原莞爾(1889~1949年)の功績をたたえる「分骨記念碑」顕彰祭が27日、米沢市の御成山で開かれ、関係者約30人が献花し遺徳をしのんだ。
石原は満州事変の起点となった柳条湖事件を立案、戦線を拡大したが、中国との全面戦争には「泥沼化する」として反対した。敗戦後は遊佐町の開拓地に入植し村づくりを指導、49年8月15日に病死した。
記念碑は石原の薫陶を受けた米沢出身の政治家木村武雄(1902~83年・T9卒)が71年8月15日、御成山に建立した。世界平和を願った石原の思いを後世に伝えようと、石原の遺骨を分骨し埋葬。高さ約5メートルで、故郷鶴岡を望むように配置した。
顕彰祭は木村武雄伝承会(野村研三会長・S39卒)が初めて企画した。野村会長は「世界が戦争に巻き込まれつつある時代にこそ、先人の思いを学び、議論し、次の世代につないでいきたい」とあいさつした。
2024年10月30日山形新聞より