遠藤征広さん(70・S49卒)に関連するニュースを続けて2本。同日(5月16日)に山形新聞と読売新聞にとりあげられています。

井上ひさしさんとの縁で実現 ・展示室リニューアル7月紹介へ

東ソーアリーナ(旧シベールアリーナ)で講演する永六輔さん

ヒット曲「上を向いて歩こう」の作詞やベストセラーの執筆、放送タレントなどマルチに活躍した永六輔さんが亡くなり、今年7月で10年を迎える。川西町出身の作家・劇作家故井上ひさしさんとの縁で、山形市の複合文化施設・東ソーアリーナに永さんの遺品が寄託されることになった。同アリーナの展示室をリニューアルし、7月12日に再オープンして紹介する。

写真やパネルや絵、ポスターなど寄託を受けた永六輔さんの遺品=山形市・東ソーアリーナ

2人は1歳違い。ともに放送作家としてキャリアをスタートさせ、平和運動に取り組むなど共通点は多い。同アリーナを運営する弦地域文化支援財団の遠藤征広事務局長(S49卒)によると、永さんは井上さんが川西町で開いた生活者大学校に講師として度々呼ばれ、井上さんが急に来られなくなった際に代役を務めた。井上さんが他界後に同アリーナで講演会を開き、「これは井上さんへの恩返しですからね」と話していたという。

今回の寄託は、同アリーナが2024年に企画した永さんの長女でエッセイストの千絵さん、井上さんの長女で同財団代表理事の都さんによるトークショーがきっかけだった。来県した千絵さんから大量の遺品が自宅に残っていると聞き、アリーナ側が展示を打診した。

遺品は4月から順次届いており、現時点で200点を超える。自筆の絵画、イラストや作詞した歌詞をしたためた額装、写真パネル、公演ポスターのほか、永さんに届いたはがき・封書の切手やサインを切り貼りしたものなど、多才ぶりヤマメさ、幅広い交友関係がうかがえる。魚のエイのコレクターでもあり、魚拓や凧、置物や耳かき、ぐい飲みも含まれている。

アリーナ内の「母と子に贈る日本の未来館」を開館以来、大幅リニューアルして展示する。寄託を受けた永さんの全著作は「遅筆堂文庫山形館」の特設コーナーで紹介する。再オープン日に永さんゆかりの人々が出演するイベントを行う予定で、遠藤さんは「展示やイベントを通し、多才だった永さんの偉業を知ってもらいたい」と話す。

2026年5月16日山形新聞より

本との出合いを 「遅筆堂」の願い 今も

井上ひさし(1934~2010)

「 吉里吉里人」「父と暮せば」など風刺とユーモアに満ちた小説や戯曲を残した井上ひさし(1934~2010)。博識で知られた作家の膨大な蔵書を収めた施設が山形県の2か所にある。水田が広がる故郷・川西町の「遅筆堂文庫」と、山形市の「分館」だ。

いずれも演劇が上演できるホールを併設する。計約22万冊の規模は公立図書館の平均をはるかに超え、一般の人も閲覧できる。

井上さんは生前、執筆の遅さから「遅筆堂」を名乗った。創立した劇団「こまつ座」の脚本が公演に間に合わず、初日を延期する事態が度々起きていた。

劇団の運営に携わり、今は遅筆堂文庫分館で事務局長を務める遠藤征広さん(70・S49卒)は「新作公演の前売り券販売時は、お客様全員の連絡先を控える体制をとった」と苦笑する。山形が初任地だった筆者も、取材を兼ねてチケットを購入した際に不安が頭をかすめたことを覚えている。

遅筆の理由は「文庫」を訪れれば分かると、今年2月に分館のホールで講演した沢木耕太郎さんが指摘している。ノンフィクション作家として駆け出しの頃、出版社の小部屋で「缶詰め」になった沢木さんは、別の部屋で苦吟する井上さんと遭遇した縁がある。「頑張りましょうね」と励まされたが、翌朝原稿を書き上げ挨拶に行くと、有名作家は「帰っちゃうの」と寂しそうに見送ったという。

「なぜ原稿が遅くなるのか。井上さんは、大きな網を編んでいたんですね。大きな魚、誰も見たことのない魚をとるには大きな網が必要で、それを編む重要な作業が井上さんにとっては本を読み、勉強することだった。芝居の初日までに完成した網を打ち、魚を調理する時間がなくなることもあったのでしょう」

そう語った沢木さんは今回、川西町の文庫で蔵書に接したことが「心にしみた」という。井上さんが古書店などを回り集めた本は関連の著作や関心事の項目ごとに並ぶ。「小林一茶」「忠臣蔵」「原爆」など一つの題材で棚が何列も埋まる。事実を徹底的に調べることで作品の厚みが増し、歴史の「空白」から独自の物語も生まれたのだろう。

井上さんの書き込み、付箋が残る蔵書(山形県川西町の遅筆堂文庫で)

「大きな網」を作る過程は、同時代の人物を取材した作品や「深夜特急」などの紀行で知られる沢木さんの場合、人に会うこと、旅をすることだという。2人と比べるべくもないが、新聞記者の仕事も、小ぶりでも確かな網を編む作業でありたいと思いを巡らせた。

30年余り前、井上さんにインタビューをする機会があった。遠藤さんら地元の若者の期待に応え、半生をかけて集めた本を町に寄贈した心境を問うと、「この地域を宇宙で一番いい場所にしたいと思う人の役に立てばよい」と語った。

「図書館は本の大海。その中を好き勝手に動いているうちに自分の航跡が見えてくる。若者が将来スパークするきっかけになれば」と願う作家は、「人が集まり、本を生かす場」を目指し、勉強会などを併せて展開する企画にも熱を入れた。

バブル期以降、各地に立派なハコモノが誕生した。消え去った施設も少なくない中、川西町の遅筆堂文庫には、井上さんをしのぶ先月の「吉里吉里忌」に県内外から約450人が集まった。

館内には一昨年から、生前の書斎も再現されている。愛用の机には本に線を引くための赤鉛筆が数十本、床には暖かそうな仮眠用の寝袋も。訪れた人は、苦しくもどこか楽しげな執筆の過程に触れるとともに、館内を巡り、作品を支えた本の世界の豊かさに気づくのではないか。

付箋と丁寧な書き込みが残る蔵書や展示資料に見入っていると、井上さんが本そのものを愛してやまなかったことも、遅筆の理由の一つに思えてきた。

2026年5月16日読売新聞広角多角より