統合し中高一貫、中心部に整備求め

米沢藩9代藩主・上杉鷹山が開校し、米沢興譲館高(米沢市、舟山和彦校長)の前身である藩校「興譲館」の創立から250年を記念する式典が20日、同市の置賜総合文化センターで行われた。卒業生約100人が2世紀半の歩みを振り返り、同校と米沢東校を統合した併設型県立中高一貫校の設置と市中心部への校舎整備について、県教育委員会に要望し続けることを確認した。

2世紀半の歩みを振り返り、校舎の街中移転などを要望することを確認した藩校興譲館創立250記念式典=米沢市・置賜総合文化センター

式典では音楽部員6人の校歌合唱で幕を開けた。小嶋弥左衛門同窓会長は「この節目に来し方を振り返り、未来に向かう道筋を考える機会にしたい」とあいさつ。舟山校長は祝辞で「自他の生命を尊重し、己を磨き、誠を持って世のために尽くす」との興譲(建学)の精神に触れ、「社会が混沌とする今こそ、己と他者を幸せにする興譲の精神が求められる」と述べた。

県教委は現在、興譲館、米沢東、南陽、高畠、置賜農業の東南置賜地区県立高校5校に対し、今後の在り方を検討している。小嶋会長は興譲館が置賜地域の教育のシンボルだとした上で「校舎が郊外の南原地区に立地し、通学に不便で生徒の大きな負担になっており、他市町の住民から批判されている」と説明した。

2校を統合して中高一貫校を設置するなら、校舎の街中移転は置賜の発展のために不可欠だと強調。「この機会を逃せば当分、不可能になる」と訴え、総力を挙げて署名活動を展開し、県教委に要望するとした。

興譲館高は上杉家重臣の直江兼続や4代藩主・上杉綱憲が開いた学問所を起源とし、日本最古の公立高校とされる。鷹山は若者に勉学機会を与えようと1776(安永5)年、藩校として再興。師匠の細井平洲が「興譲館」と名付けた。

米沢興譲館高は藩校を前身に1886(明治19)年、米沢市北堀端片町(現丸の内)で開校。戦後の学制改革で高校になると、米沢一、米沢、米沢西と校名変更を経て1956(昭和31)年、現校名になった。現在地には1987(昭和62)年に移転した。

9月19日~11月23日には藩校創立250年を記念した特別展「上杉鷹山と米沢の学び舎」が上杉博物館で開かれる。

2026年6月24日山形新聞より