安永5年(1767)、上杉鷹山は藩政改革の柱として藩校「興譲館」を設置しました。財政破綻という危機に直面するなか、鷹山は士風の刷新と人材育成を目標に掲げ、学校の充実のみならず、藩士の遊学奨励や外部からの人材招聘に取り組みました。明治維新後、同校の伝統と名称は、米沢中学校(現・米沢興譲館高校)へと継承されました。また、鷹山に象徴される学問重視の気風は、市内のいくつもの学校に受け継がれ、現在に至る「学園都市米沢」の基盤となりました。本展覧会では、制度としての学校史にとどまらず、個々人にとっての学ぶ意味や、学問を通じた人脈にも注目し、鷹山と師・細井平洲の関係、武士の学習とキャリア形成の実例などを取り上げます。また、市内の各校に伝来し、その特徴と教育の実情を物語る扁額や書画、写真などの学校資料を一堂に展示します。