画像をタップ・クリックでチラシを表示

山形美術館では本日14日から「没後50年 土田文雄展」と「近岡善次郎 聖なるイメージ」、二つの展覧会が始まりました。米沢市に生まれた土田文雄(1901~73年・T7卒)は、院展洋画部、春陽会を経て国画会を中心に活躍しました。梅原龍三郎の影響を感じさせる人物像や室内風景、海景をモチーフとした幾何学的な色面構成など多彩な画風を展開しています。

新庄市に生まれた近岡善次郎(1914~2007年)は、一水会を中心に活躍。文部省留学生として欧州から帰国すると、東北や故郷の風俗を題材に、郷愁の温かなまなざしにあふれる絵画世界を生み出していきます。

詩人の真壁仁は、戦前の展覧会で消化された作品を見て、風土と気候を同じくする山形ゆかりの郷土美術家に共通する精神を「北方性」と名付け、「拙劣な表現をとるときに、鈍重となり低迷となりマンネリズムとなり、優れた表現を得ては、健実なリアリティを生む結果となる所の素質である」と述べています。

二つの展示室を巡ってそれぞれの画風をご覧いただくとともに、二人の作家性の違いや通底するものについて想像を巡らし、対象や内面をいかに捉えているかを感じていただければ幸いです。

今年没後50年となる画家・土田文雄(1901-1973)

1901(明治34)年に山形県米沢市に生まれた土田は、旧制中学を卒業後に上京し、川端画学校で藤島武二に師事。1920(大正9)年、日本美術院洋画部で初入選するも、院展洋画部が解散したため、新たに創設された春陽会へと移りました。梅原龍三郎に傾倒し、梅原の誘いで国画会創立とともに出品。1954(昭和29)年、武蔵野美術大学の教授に就任し、後進の指導にあたりながら生涯を通して国展の中心作家として活躍しました。定年退職後の1972(昭和47)年、渡仏して画業に専念しようとした矢先に病を得て帰国し、翌年惜しまれながら亡くなりました。
当館では1974(昭和49)年にその活動を顕彰する遺作展を開催しましたが、まとまって土田の作品を展示するのは約半世紀ぶりとなります。梅原の影響を感じさせる初期の人物像や室内風景に加え、抽象的な表現や幾何学的な構成に発展させた風景画など、土田の作品は多様な変遷を辿ります。その背景には抽象様式の台頭や前衛美術運動の興隆など、戦後美術界の急速な変化があったことは想像に難くありません。
当館所蔵品の中から土田の作品約70点と、同じく国画会や女流画会で活躍した夫人、土田次枝の作品1点をご紹介します。多様な表現とともに作家が追い求めた美の姿を感じていただければ幸いです。

2023年12月14日山形新聞より