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木村武雄(米沢市出身・T9卒)と言えば「元帥」という愛称で知られ、戦後田中角栄内閣では建設大臣として、また日中国交正常化の黒子として活躍した政治家である。昭和史の裏側が主な活躍の場だったせいか、まだ正常な評価が得られていない。本書は木村武雄の生涯を追ったものである。

木村は戦前、満州事変の首謀者であった石原莞爾(鶴岡市出身)の薫陶を受け、日本・満州・支那(現中国)の対等な連携を謳う「東亜連盟」立ち上げに尽力した。これで西洋のアジア侵略に対抗しようとしたのだ。これを著者は王道アジア主義とし、西欧列強とともにアジア大陸での眼前の利益や果実をむさぼり食らうことに精いっぱいで、日本をアジアの盟主と思い上がった東条英機や武藤章ら統制派陸軍軍人らと、それらに阿諛追従(あゆついしょう)していた思想家やマスコミ人のことを覇道アジア主義として峻別する。しかし、それらは終戦とともに連合軍によって一緒くたに解体させられた。

そうした中でも、木村は王道アジア主義思想を受け継ぎ、日中国交正常化を成し遂げた。しかし、日中接近を嫌うアメリカの逆鱗に触れ、田中はロッキード事件で葬り去られた。

実は明治維新以降、王道アジア主義的な思想こそ日本近代の精神史の象徴であり、主流であった。しかし覇道アジア主義者により換骨奪胎され、大きな誤解を生んだ。現代の戦後教育の現場では、これらの事象はことごとく隠蔽されてしまっているので、日本近代史の本当の姿が見えてこない。本書は木村を通して、真の日本近代史の見方を提示する。

また面白いことに、王道アジア主義の系譜として「置賜アジア主義」という言葉が存在するという。その源流は、幕末維新期に活躍した宮島誠一郎(米沢藩士)に発し、その息子・宮島詠士(大八)へと連なり、石原莞爾を経て、その末端に木村武雄がいるのだ。

残念なのは、本書での木村の行動の言及の中で、蓋然性が高いとはいえ、想像や推測が多いこと。最も歴史の裏の裏を語る時にはつきものなのだが。ともあれ、現在の日中関係の現状を木村は天国からどう見ているのだろう。

評者:富塚正輝 エッセイスト、山形市

(望楠書房・2090円)

2022年12月14日山形新聞より

著者:坪内 隆彦

道義国家日本を再建する言論誌『維新と興亜』編集長。

1965年1月生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、日本経済新聞社に入社、貿易記者クラブ担当記者として通商問題などの取材にあたる。1989年退社後、フリーランスで取材・執筆活動に入る。1991年に「国連における大国協調の光と影」で佐藤栄作賞を授賞。2004年11月、2015年6月、2017年6月の三度にわたり、マレーシアのマハティール元首相に単独インタビュー。この間、2012年から、最後の崎門学正統派・近藤啓吾先生(2017年死去)に師事。現在、一般財団法人昭和維新顕彰財団代表理事、崎門学研究会顧問、大アジア研究会顧問なども務める。