ホワイトハウス高官からレーガン大統領へのメモに目を通す横山陽子さん(左)と姉の昭子さん(S61卒)=米沢市
レーガン大統領から返信が届いたことを伝えた1985年4月6日付の山形新聞
37年前に中学生、米沢の横山さん(平和を願う手紙)⇔レーガン大統領(核軍縮の決意)

37年前、米沢市の女子中学生がレーガン米大統領に平和を願う手紙を出し、本人から核軍縮を目指すとする返事が届いた。このやりとりの裏に、ホワイトハウス高官らによる大統領への進言があったことが、米国に残されていた公文書で分かった。思いもよらぬ大統領からの返信の経緯が明らかになった形で、歴史の転換期において少女の手紙が何らかの役割を果たしたのかもしれない。

1985(昭和60)年1月、レーガン大統領に手紙を送ったのは、米沢一中2年だった横山陽子さん(51)=同市。祖父の戦争体験を聞いて育ち、核戦争が危惧される中で、平和を願う思いが強まった。同年3月にスイス・ジュネーブで米ソの包括的軍縮交渉が行われると知り、高校生だった姉の昭子さん(55・S61卒)に相談し文面を考えた。3月12日付の大統領からの返事には、核兵器削減への決意が記されていた。同年4月6日付の本紙も詳細を伝えている。

今回確認された公文書は、駐日米大使が「文面の誠実さと魅力に感銘を受けた。じかに回答すべき」とした提言と横山さんの手紙の英訳、それを受け、ロバート・マクファーレン国家安全保障担当補佐官が大統領に返事を出すことを進言するメモなど。国際政治・経済や現代史を取材するジャーナリストの徳本栄一郎さん(58)=東京都=が、5年前に米国のロナルド・レーガン大統領図書館で、機密解除された1980年代の日米関係ファイルを調査中に見つけた。

経緯を知った横山さん姉妹は「大統領と周囲の人たちが一人の中学生の声に耳を傾けてくれたことに感激している。諦めずに平和の大切さを訴えること、耳を傾けるリーダーの重要性を改めて感じる」と話す。陽子さんは手紙にあった「あなたのような方々の協力や理解が必要」との言葉に突き動かされ、DV(ドメスティックバイオレンス)被害防止などに取り組んでいる。

2人はロシアのウクライナ侵攻など紛争が続く現状にもどかしい思いを抱き、「一日も早く戦争のない平和な社会を」と強く願っている。

ロバート・マクファーレン国家安全保障担当補佐官がレーガン大統領に対し、返事を出すことを進言するメモ(ロナルド・レーガン大統領図書館所蔵)
米ソ対峙の時期、歴史にささやかな影響?

公文書の中でロバート・マクファーレン国家安全保障担当補佐官は「この中学生に返事を出すことは日本で好意的に受け止められるだろう」とつづった。さらに「ジュネーブでの交渉に注目が集まる中、大統領が軍縮に責任を持って取り組むという姿勢を示すことは重要」と進言している。

徳本さんは「当時は米ソが大量の核兵器で対峙(たいじ)し、危機感が広がっていた。(横山さんと手紙を交わした後の)1985年11月にレーガン大統領はソ連のゴルバチョフ書記長と会って意気投合し、共に冷戦終結の道を開いた」と当時の米ソ関係を説明。「補佐官のメモには世論工作を狙った痕跡もあるが、レーガン政権が事態打開を望んでいたのは事実。横山さんの手紙が歴史にささやかな、しかし大切な影響を与えたかもしれない」と推測する。

2022年12月15日山形新聞より