今朝の河北新報26面に掲載されました。
本人facebookより
先日取材を受けましたが、こんなに大きく取り上げられると思っていなかったので朝から反響の大きさに驚いています。
少しだけ退くことにはなりますが、今後も米沢中央三丁目店の運営やまち育て活動を通して“安心・安全で活力ある街なか”の形成に力を尽くしていきたいと思います。
山形県米沢市のあるコンビニエンスストアが13日午前9時、閉店の時を迎える。大学生が亡くなった1995年の暴行事件が契機となり、その兄が97年、現場近くに開いた店だ。「何かあったら逃げ込める、24時間明かりのある場所をつくりたい」。そう願い、店を守ってきた。
店長の相田克平さん「これからもこの街の灯守り続けて」
ファミリーマート米沢中央1丁目店、店長の相田克平さん(56・S60卒)=米沢市=。「収益よりも、店を残したいとの思いで続けてきた」と肩を落とす。閉店は経営状況による本部の判断。競合店などの影響で、フランチャイズ契約の更新がかなわなかった。
事件は95年4月1日未明に起きた。米沢市中央1丁目のスナックで、山形大工学部生だった弟の誠さん(当時21)は仲間3人と酒を飲んでいた。店にいた客の男6人に言いがかりを付けられ、殴る蹴るの暴行を受けた。
市内の病院に運ばれた誠さんは意識不明の状態が続き、同8日に亡くなった。加害者の男1人はその後、傷害致死罪などで実刑判決を受けた。
遺族の怒りや悲しみは徐々に、街の治安向上を目指す力に切り替わった。山形大生らと共に95年夏、街頭やキャンパスで交番の設置を求める署名活動を展開。集まった約2万筆は市へ提出し、市議会も設置を求める請願を可決したが、実現しなかった。
克平さんの下に、誠さんの死に伴う保険金400万円があった。使い道に迷ったが、「交番は難しくてもコンビニなら24時間、明かりがともる」と決意。運営会社に自ら電話し、店を開きたいと伝えた。
交渉を経て、97年3月14日に米沢中央1丁目店がオープンした。店は事件現場から80メートルほどの場所に構えた。
克平さんは市中心部での店舗経営を通じ、街づくりへの関心も強めた。2007年に市議に初当選し、21年から議長を務める。
店の周辺では誠さんが犠牲になった事件以降、暴力による大きな事件は起きていない。議員活動の傍ら、レジにも立つ克平さんは「この25年余りは役目を果たせたかな」と振り返る。
今月3日、感謝を示す閉店のあいさつ文が店内に張られた。今後の土地の活用は未定だが、克平さんはメッセージをこう締めくくっている。
「これからもこの街の灯(あか)りを守り続けて下さい!」
2023年1月12日河北新報より
- 河北新報オンライン記事
- Yahoo!ニュース記事(反響のコメントもみられます)
今朝の河北新報に掲載された反響が想定以上に大きくて直接お電話を頂いたりメールやLINEもたくさん頂き恐縮しています。
また河北新報ONLINEに掲載された元記事にも全国から多くのコメントが寄せられており、まだ斜め読みしかしていないけどそれでも瞼が熱くなりました。
暖かいコメントも多く、またコンビニという存在に地域に必要なインフラとして見直して下さるコメントも多く、あとでじっくり読みたいと思います。
思い出の詰まった米沢中央一丁目店も、明朝静かに幕を閉じることになりますが、この記事を契機に改めて思いを知って頂く機会となったことで、この地域に想いがしみわたってくれることを祈るばかりです。
僕自身も終わったとは思ってはいないので、この変化を受け止めつつ今後も当事者として力を尽くしてまいります。本人facebookより