県内主要野球場でバックスクリーンに映し出される出場選手名やチーム名の電子表示化が進む中、米沢市営野球場は球場誕生から約30年間、手書きを続けてきた。米沢地区野球連盟の玉虫利美さん(81・S36卒)=米沢市塩井町塩野=が一手に担ってきたが、28日に決勝が行われた春季東北地区高校野球県大会で筆を置いた。丁寧に、力強く名前を書き、球児にエールを送り続けてきた。

手書きの表示板を30年以上書き続けてきた玉虫利美さん(S36卒)=米沢市営野球場
春の高校県大会で引退・野球への感謝、原動力

同球場が完成した1992年、「べにばな国体」の野球競技が行われた。玉虫さんを含む3人が表示の名前を書く担当となった。ただ、それぞれが書いていた。統一感のある文字にした方が見栄えも良いことから、それ以降は玉虫さんが1人で担当することになった。

縦140センチ、横45センチほどの板に、白の水性ペンキで、丁寧に、力強く書き上げる。出来る限り一筆書きだ。直線的に描くのが玉虫さん流。特に大変なのは夏の全国高校野球選手権山形大会で、メンバーが出そろう6月から作業を始める。

真夏にバックスクリーン裏の建屋での仕事は暑さとの闘いだ。玉のような汗をかきながら、はけで書き進める。扇風機を回しているが、厳しさを増す近年の猛暑は年を重ねた体にこたえる。続けたい気持ちはあるが体力が続かなくなってきた。新型コロナウイルス禍で、掲示板の高校生を配置できず。直近3年間は選手一人一人の名前掲示はしなかった。今年、久しぶりに再開した。真夏の大変な作業を家族は心配していた。80歳を過ぎたこともあり「春の県大会を最後にしよう」と決めた。

選手名を書くとき、心の奥にはいつも激励の思いがある。「この子は何番を打つんだろう。頑張れよ」会場のアナウンスとともにバックスクリーンに自分の名前が表示された瞬間、選手の気持ちは高ぶる。誇らしさ、緊張感、そして不安・・・。その気持ちをおもんぱかり、筆を走らせてきた。

「続けてこられたのは野球に対する感謝の気持ちがあったから。もし、誰かが引き継ぐのなら手伝いたい」と30年間を振り返る。県高校野球連盟の大場卓也理事長は「長年、選手と保護者の励みになってきた。非常に感謝している」と語った。今後、同球場では名前などを大きく印字した紙を張って表示する予定だ。

手書きのチームメイト選手名が表示されるスコアボード=米沢市営野球場


2023年5月31日山形新聞より