米沢市剣道連盟会長の三條貞夫さん(69・S45卒)=同市城南1丁目=は、江戸時代中期に米沢で活躍した剣士の吉田一無(1704~82年)に光を当てようとしている。米沢藩9代藩主・上杉鷹山との関わりなど多彩なエピソードが伝わっており、「米沢の地域おこしや剣道界の活性化のためにも、多くの人に知ってもらいたい」と話している。
吉田一無は、現在の同市南原猪苗代町の藩士の家に生まれた。剣術の修行に励み、「一刀流」の達人として自宅に道場を構えた。弟子が300人いたほか、藩の国境警備を担う役人のために出張指導も行っていたという。若い頃は「一夢」を名乗った。
糠野目(高畠町)での出張指導の帰りに襲撃されて返り討ちにした話や、8代藩主の重定が能で舞ったなぎなたの動きをこき下ろすなど、剣術の腕や人柄を示す話が多く残っている。際立つのは、鷹山の師の細井平洲に対する暗殺未遂事件だ。鷹山の改革に反感を持つ重臣らの考えを聞いて殺害を決意したが、平洲の毅然とした態度を見て考えを改めた。鶴岡市出身の作家・故藤沢周平さんも短編「一夢の敗北」に描いている。
現役の歯科医師で全日本歯科医師剣道連盟会長も務める三條さん。2018年には最高段位の八段昇段試験に合格し、「剣の道に生きた一無について調べたい」と本格的に調査を開始した。史料を探したり子孫を訪ねたりして、一無の足跡をまとめている。剣道専門誌にも寄稿し、月刊誌の「剣道時代」(体育とスポーツ出版社)8月号に「剣の達人『吉田一無』」として掲載されている。
三條さんは「おごらず愛された人で、行動力もすごい。まだ知られていない話もたくさんある」と、一無に対する興味は尽きない。一無について考える会の設立やイベントの開催なども構想している。
2021年8月18日山形新聞より