古文書調査「古里への貢献になれば」

「養善寺の由来」を手にする赤尾雷水住職。右奥は赤尾恵秀の墓所=米沢市・同寺

米沢出身の高橋康宏岐阜大工学部准教授(45・H8卒)=岐阜市=が米沢市城西1丁目の養善寺(赤尾雷水住職)の歴史などを調べた冊子「善養寺の由来」をまとめた。趣味としている古文書調査を基に怪力伝説の残る住職の謎に迫るなど、寺の変遷や関係する人物について、さまざまな考察を加えている。

高橋准教授の実家は同市御廟2丁目で、養善寺にほど近い。赤尾住職から調査依頼を受け、古くからの檀家の氏名を記した過去帳を中心に調べた。

寺は1704(宝永元)年の火災で多くの文書を失い、正確な来歴は分かっていない。一説では信濃国(現・長野県)で赤尾長圓が開基し、ゆかりのあった上杉家が関ヶ原の戦いの戦後処理で米沢へ転封となったため移転してきたと考えられている。

調査では養善寺の特徴として、和算にたけた人物に加え、医者といった知識人が周辺に住み、檀家になっていたことが分かった。第7世住職の赤尾恵秀(1723~1805年)には怪力伝説が残るが、高橋准教授は和算が水利や築城といった土木工事に応用されていたため「和算の知識で人力では動かせないものを移動させ、怪力として広まったと想像できる」と推測している。

高橋准教授は「郷土の歴史は、まだまだ埋もれている部分がある。少しでも古里への貢献になればうれしい」と話した。A5判で30ページ。希望者には無料で配布する。問い合わせは同寺0238(21)2948。

2023年6月10日山形新聞より