薩長中心の新政府批判、20代で処刑・市民有志ら建立「政治に道義求めた」
幕末から明治にかけての激動の時代を駆け抜け、20代の若さで処刑された米沢藩士の銅像が、墓がある米沢市の常安寺に完成した。雲井龍雄(1844~71)。優れた詩を残し、自らの信じる道を貫いた生き方を後世に語り継ごうと市民有志らが建立した。
米沢藩の下級武士の家に生まれた。江戸に出て、のちに明治政府の要職に就く人材を輩出した儒学者・安井息軒の三計塾で塾頭を始めた。戊辰戦争の際に西軍(官軍)の薩摩藩を批判した漢詩「討薩檄(とうさつげき)」を書き、米沢、仙台量販を中心に会津を守るために結成された奥羽越列藩同盟の奮起を促した。一時は新政府に加わるが、薩長中心の藩閥政治を批判。政府転覆を企てたとされ、処刑された。
除幕式は5月20日にあり、等身大の高さ1.6メートルの銅像が披露された。2018年に設立されたNPO法人「雲井龍雄顕彰会」が建立を進め、製作費約600万円は約160人からの寄付金があてられた。
制作した彫刻家で、福島大学の新井浩教授は式典のあいさつで、「左手に剣を持ち、右手を開いている。彫刻は人の生涯を一瞬の形で切り取るメディア。剣の時代ではなく、言論で世の中を変えていこうとした姿を表現している」と紹介した。
雲井は東京・小伝馬町の牢で斬首され、頭骨は都内に埋葬された。市民らの熱意で1930(昭和5)年、常安寺に移行され、96年から墓前祭が催されている。鶴岡出身の小説家、藤沢周平は「雲奔る(はしる)」で雲井を主人公にその生き様を描いた。
顕彰会理事長で、雲井の母親の子孫にあたる屋代久さん(69・S47卒)は「福島県では会津を助けた英雄として知る人も多いが、政治犯であったため米沢では語ることが避けられてきた」と説明。漢詩は自由民権運動の青年にも広く読まれ、「詩人としての評価が高い。国の政治に道義を求め、一途に生きた若者がいたことを知ってほしい」と話している。
2023年6月7日朝日新聞より