黄色や紺、白、赤などをベースにした布地に独特の模様が際立つ沖縄織物。戦時下で消滅の可能性があったが、米沢出身の織物研究家・田中俊雄(1914~1953)が復興に尽力し、現代につないだ。田中の研究は死後70年近くたっても、現地の研究者のバイブルだ。
田中は米沢市の機屋の長男として生まれた。米沢織を手掛け、従業員は約200人いた。しかし、経営よりも研究の道を選び東京へ。民芸運動に参加し、39(昭和14)年から本格的に沖縄織物の調査を始めた。
妻が共著を出版
沖縄織物に魅せられたのは、その種類の豊富さだった。「田中俊雄蒐集 沖縄織物裂地」によると、生地の素材だけでも苧麻(ちょま)やラミー、桐板、芭蕉、木綿、絹とあり、絣模様は花や鳥、とっくりなど800種にも及ぶ。美しいだけでなく、模様そのものが個々に意味を持ち、生活に結び付いている。妻玲子も田中の研究に協力、田中の死後に残した原稿をまとめて共著「沖縄織物の研究」を出版した。長男の太郎さん(73)=東京都中野区=は「残された資料を見ると、織物にのめり込んでいたのが分かる。母にとってもすべてで、連れ合い以上の存在だったと思う」と語る。
田中が実家に残した資料は、弟の駒蔵さんが2002年に沖縄県立博物館に寄贈した。調査で訪れた沖縄県立博物館・美術館主任学芸員の与那嶺一子さん(63)は「量が膨大で驚いた。空襲を受け破壊された沖縄に思いを馳せ、沖縄のために自分が見てきたものを伝えていきたいという強い思いを感じた」と振り返る。
特別企画展開催
翌年には特別企画展「沖縄織物のメッセージ 田中俊雄の研究」が同博物館で開かれた。駒蔵さんの長男で、現地に展示を見に行った英一さん(71・S44卒)=米沢市城西2丁目=は「資料については米沢市役所からも問い合わせがあったが、現地の沖縄に返して活用してもらうのが一番だと考えた。おじさんも喜んでいると思う」と話す。
現在、経済産業省の伝統工芸品として認定されている織物38件のうち13件が、首里織や読谷山ミンサー(細い帯)、喜如嘉の芭蕉布といった沖縄織物。沖縄県立芸術大芸術文化研究所の久貝典子さん(64)は「田中さんが沖縄織物の魅力に気付かせてくれた。歴史や文化を踏まえて色合いや技術をまとめた点が素晴らしい。研究者の教科書」、与那嶺さんは「この研究がなければ、なくなったものもあったかもしれない」。2人から同じ言葉が聞かれた。「今も田中さんを超える研究者は出ていない」
田中は日本民芸協会の活動で、当時の標準語運動に伴った沖縄方言廃止奨励にも向き合った。織物などの工芸をはじめ、言葉や食の文化、生活習慣。地域文化が色濃く残っているからだ。田中のような優れた研究者が、今の地方にこそ求められている。
2022年5月21日山形新聞より