昭和32年から14年半、米沢城址にあった米沢児童センター。高台に立つ観覧車からは、市内が見渡せたという。 =米沢市丸の内1丁目

多くの親子連れが順番を待つ観覧車。周囲にはミニ電車が走り、豆自動車コースも設けられた小さな遊園地が、米沢市の米沢城址にあった。開園は1957(昭和32)年4月。存在したのは71(同46)年秋までの14年半という短い期間だったが、「子どもたちのために」という開園時の思いは長く受け継がれた。

遊園地があったのは、お堀に囲まれた城跡の東南角の高台。明治初期まで上杉謙信の遺骸が眠り、現在は戦死者をまつる招魂碑が立つ神聖な場所だ。「米沢児童センター」の名で遊園地を整備したのは、事業家で市議も務めた故吉野正八さん(S11卒)。資金集めに各地を走り回り、当時小学校長の故高森務さん(S3卒)などの協力も得て開園にこぎ着けた。

吉野さんの長男の徹さん(72・S43卒)は、米沢商工会議所の前会頭。「お堀に浮かべたボートの切符切りを手伝ったこともあった」と振り返る。招魂碑を管理する米沢御堀端史蹟保存会の関原謙一会長(73・S43卒)は、当時お堀の北側にあった中学校に通い、学校帰りによく寄っていたという。

センターの事業として行われた子供新聞の発行は「米沢小中学校新聞」として2019年5月まで約60年続いた。発行元の米沢児童文化協会の高橋捷夫会長(78・S37卒)は、「センターは、子どもたちに夢や楽しみを与えようとする人が集まる場でもあった」と話す。

子どもが遊べる場として、お堀の外側に市児童会館が開館したのはセンターの閉園から12年度の1983(同58)年。市は現在、新たな屋内遊戯施設の整備を進めている。

2022年5月24日山形新聞より
現在の招魂碑前広場