故郷のことはだんだん記憶が薄くなったが、先日、幼い子どもの頃、母方の祖母の実家のお墓参りに一緒に行った夢を見た。祖母の実家は、明治維新前は日向高鍋藩の家老職にあった黒水家だった。宮崎では「黒木」の姓は数では圧倒的にトップだが、「黒水」はそれほど多くない。藩主の秋月氏は、元は筑前の出だから、高鍋に転封されたとき移ってきたのだろうか。
高鍋藩からは、歴史に詳しい読者ならよくご存じのように、六代藩主・秋月種美の次男が米沢藩上杉家の養子に入り、藩政改革を成し遂げた名君として知られるようになる。あのケネディ大統領も尊敬していたという、上杉鷹山である。
ところが、数年前、童門冬二さんが鷹山の兄で高鍋藩主の座に就いた秋月種茂(号は鶴山)を描いた歴史小説を発表し、地元では評判となった(「小説 秋月鶴山-上杉鷹山がもっとも尊敬した兄」)。鶴山も、児童手当制度の導入、藩校「明倫堂」の設立など、藩政改革を実施した名君として慕われているという。藩校からは三好退蔵(大審院長などを歴任)、秋月左都夫(外交官で日本にボーイスカウトを紹介)、石井十次(「児童福祉の父」と呼ばれた社会事業家)らが巣立ったので、文教政策に力を入れた藩主だったのだろう。
だが、話はここで終わりではない。以前、自分が主催する研究会にラスキンを研究している若手研究者を招いたが、なんと彼女の母校、米沢興譲館高校と高鍋高校の間には生徒間の交流があるという。米沢-高鍋間は近距離ではないが、いまも双方が歴史を尊重している姿勢が素晴らしい。
2023年7月6日日本経済新聞夕刊より