安土桃山時代に創業し、上杉家の城下町で酒造業を営んできた小嶋総本店。店舗兼主屋などは、国の登録有形文化財に指定された=米沢市本町2丁目

昨年の秋、浅草で、とある書籍の編集者と神奈川大に勤める長崎県出身の友人と酒を酌み交わしていた時のこと。ビールをこよなく愛する友人が、ふと「米沢のお酒といえば東光ですよね」と発した。実は、このような体験は一度や二度ではない。それほどまでに世間に浸透しているのが「東光」で知られる小嶋総本店である。

創業は安土桃山時代、1597(慶長2)年と伝わる。初代弥左衛門が、質屋との兼業で小嶋酒店を興した。当時の領主は、会津を拠点とした蒲生秀行。翌年、秀行は幼年であることを理由に宇都宮へ移され、代わりに上杉景勝が会津へ入った。それ以来、上杉家の城下町で酒造業を営んできた。

その古さは、剣菱、吉野川など、よく知られたブランドに次いで、全国で十数番目を誇っている。日本酒は、古代の末から、奈良の寺院が造った「僧坊酒」を中心に発展し、中世には、京の伏見を中心に「造り酒屋」が激増した。15世紀になると、地方の酒、いわゆる「他所酒」が京に入り込むようになった。地酒のルーツである。小嶋総本店の創業はまさに、各地に、都の酒に対抗できるほどの造り酒屋が次々と登場してきた時代である。

それ以来、上杉家の領内で代々酒造業を営み、現在の当主が、小嶋総本店会長の23代小嶋弥左衛門氏(77・S42卒)である、23代目は生まれて物心ついた時から、自然と継承するものだと思っていた。それでも葛藤だらけだったそうで、東京に行きたい、親元から離れたい一心で、ご本人曰く「勉強は頑張りました」とのことだった。慶應義塾大学に進学し、卒業後は中小企業の子弟を指導する名古屋の社団法人中部産業連盟で、経営を学んだ。その時の同期12人のうち8人は、トヨタのお膝元らしく、自動車の下請け会社の子弟だった。次いで、東京の滝野川にあった国税庁の醸造試験場で約1年、座学と実習で、酒造りの基本を学んだ。それから約15年後、社長に就任した。

そして時は流れ、さらに26年後、長男の健市郎氏(43・H11卒)が社長を継いだ。健市郎氏もまた、慶応義塾大学総合政策学部に進学して都会へ出た。大手衛生用品メーカー、アメリカで卸売販売を行う企業で働き、マーケティングと営業を経験した。健市郎氏もまた生まれた時から、家を継ぐものと期待されていると感じていた。しかし、本気で家を継ぐ決心がついたのはアメリカに渡った時だったそうだ。「日本人性の境界」というものを感じたからだ。そして2011年に米沢に戻った。

(原淳一郎・県立米沢女子短期大教授)

はら・じゅんいちろうさんは1974年、神奈川県秦野市生まれ。慶應義塾大大学院文学研究科で博士(史学)を取得。専門は、日本近世史、民俗学。著書に「江戸の寺社めぐり-江戸・鎌倉・お伊勢さん」(吉川弘文館)など。

2024年6月4日山形新聞より