4.点数廃止連合

子どもに序列付けられない

子どもをテストの点数だけで評価しない―。無着成恭さんが一貫して取り組んできたことだ。1987(昭和62)年に赤坂のレストランで初めて会った時、無着さんは「私は負けたんです」と繰り返していた。名刺に「点廃連会長」とあった。「点数廃止連合」の略ではなかったか。子どもを点数だけで評価し、ロボット化するのをやめようという市民運動を立ち上げたのだが―。

「個性尊重、自主自立、自由平等」をうたう東京・明星学園にも、時代の波は打ち寄せていた。学校側と父母会は子どもたちの学力低下を防ぐため、進級テストの必要性を主張し、無着さんは学園を去った。無着さんは著書の中で、教え子一人一人の顔を思い浮かべ、入試のために点数で序列をつけたことをわびている。

1998年、再び千葉の福泉寺を訪ねた。何度目かの訪問だった。無着さんは開口一番、「鈴木さん、息子さんどうしてる?」と聞いてきた。「この春、進学しました」と私は答えた。ちなみに鈴木は私の本名。長男は学校へ行かず、私はそのことで悩んでいた。無着さんと初めて会った時、保育園児だった次男は高校生になっていた。

昼餉の大きな座卓には副住職の隣に弟子が加わっていた。無着さんは、夫人のときさんに「鈴木さんの息子はK大の文学部に入ったそうだよ」と言った。次に弟子に向かい、「〇〇君、K大の文学部は入るのが簡単なのかね?」と尋ねた。弟子は「いいえ、難しいです。偏差値高いです」と答えた。その後、私の方に向き直ってこう続けた。

「鈴木さん、息子さんは高校へ行ってないんだよね?」

「はい」

「中学も行ってないんだよね?」

「はい」

無着さんは大きな体で小首をかしげる。「そうすっとだね、K大文学部というのはだね、小学校卒業で入れるということだね」。食卓を囲む5人が大笑いした。私の6年に及ぶ親としての苦しみは、雲散霧消したのだった。

(フリーライター・香川潤子、山形市・S49卒)

2023年11月20日山形新聞より