7.完 損得勘定のない「あがすけ」

無着成恭さんの遺偈「ああ楽しい人生であった」と結ばれている

ああ 総て楽しい人生であった

村山地方には「あがすけ」という方言がある。でしゃばり、半可通、目立ちたがり屋などの意味が含まれる。無着成恭さんはあがすけだと言われる。

無着さんのあがすけには損得勘定がない。底抜けのお人よしなのだ。無着さんはタンポポが好きだった。タンポポは無着さん自身だ。明るくたくましい”無着タンポポ”は深く深く故郷に根ざし、花を咲かせていた。

無類の子ども好きの教師であり、中学生たちの番長だった。会ったこともない、私の2人の息子たちにも愛情を注いだ。無着さんが、講演会に集まってきた教え子をぞろぞろと引き連れていることがあった。その日の講演料の一部は、教え子たちにおごって消えたと思う。私の知る限り、無着さんは自分のためにお金を使わない人だった。在りし日、講演を終えた無着さんを新幹線のホームまで見送る私に、恥ずかしそうにうつむいて「グリーン車のチケットなの」と言った。グリーン車に乗ることをぜいたくと感じていたのかもしれない。

2011年、無着さん夫妻は大分県別府市の高齢者向けマンションに移った。無着さんは認知症の妻ときさんを介護し、18年2月に見送ったという。同年4月からは千葉県福泉寺住職である長男・成融さんの下で暮らした。「ときさんが亡くなって寂しいって言っていたよ」と、私に無着さんの近況を教えてくれる後輩のお坊さんもいた。私もまた、家族を見送る側の務めが長かった。

山元中(上山市)で実践した「生活つづり方」のクラス文集をまとめた「山びこ学校」は今なお、教師を目指す人や現場の教師たちの研究対象となって読み継がれている。

1987(昭和62)年冬に赤坂で無着さんと出会った後、京都・龍安寺の庭に「吾唯足知(われただ足るを知る)」と刻まれている有名な「知足の蹲踞(つくばい)」があると知った。初めて無着さんに取材し、確認のために原稿を送ったところ。無着さんからの返事にはこう記されていた「はい。『知足』と言います」このたった1行の朱入れが私を導いてきた。

ここ数年、SDGs(持続可能な開発目標)という言葉が定着しつつある。無着さんはもういない。だけど、心の耳を澄ませれば、あの大きな声が聞こえてくる。「持続可能な世の中を、仏教はずっと説いてきたのだよ」

無着さんは今も、大股でわっしわっしと前を向いて歩いている。無着さんについて書こうとする私の気持ちを知ってか知らずか、ずんずん歩いていく。仏の教えは「こだわらない」。良いことさえも、こだわらない。

最後に、成融さんのあいさつ状に添えられた無着さんの遺偈(ゆいげ)を紹介させていただきたい。

遺偈

我渡三泉 九十七歳

遠聴山彦 嗚呼楽総

私は三つの寺(沢泉寺・福泉寺・泉福寺)の住職を務めてきた

九十七歳になった

遠くから皆の呼ぶ声が山彦のように聴こえてくる

ああ総て楽しい人生であった

(フリーライター・香川潤子、山形市・S49卒)

2023年12月18日山形新聞より