3.千葉・福泉寺を訪ねて
寺と住民 感じるつながり
年号は平成に変わり数年がたっていた。教育関係の月刊誌の取材で、無着成恭さんが住職を務める千葉県多古町一鍬田の福泉寺を訪ねた。成田空港第2エアターミナルから車で15分、寺の周りは食堂やレストランなどがない片田舎である。庫裏の板の間で、無着さんが作った肉なし焼きそばを食べた。寺の“大黒さん”となった、とき夫人は東大病院の小児科で働く看護師だ。共働きが長く、料理は当番制になっているらしかった。
無着さんは、食後すぐにゴロリと板の間に寝転がった。ときさんは「これっ、牛になる」と軽く夫をしかりつけ、食事中に私に何か話しかけてきた副住職の息子さんに「また、そんなことを言って」とたしなめる。2人のやんちゃ坊主の手綱をとるのに気が抜けない。
曹洞宗・総持寺宗務庁の求めに応じて無着さんが入った福泉寺の檀家数は45軒。無住だった荒れ寺の修理に「それまでの貯えをありがたく使わせていただいた」という。基本、ときさんの収入で暮らしていたため、ときさんは「5円から家計簿につけてやりくりした」とし、寄付集めはしなかった。だが、伽藍修理の次に行った釣り鐘の設置では寄付を募ったと聞く。
東京郊外にある自宅は売り払っていた。2人は、福泉寺をついのすみかに決めたようだった。掃除の行き届いた暮らしぶりだ。あれは夏だったか、ドサッと音を立てて寺の意利食い地に野菜を置いていったのは、姉さんかぶりをしたお年寄りだった。採れた野菜をお供えに持ってくる人たちと寺とのつながりが育っているのがうかがえた。檀家さんやゆかりの人たちのお布施で建立された釣り鐘をつくことは、無着さんの願いであったろうと思う。
野良着に長靴姿で庭をわっしわっしと歩く無着住職の後ろを、柴犬のペロが追う。そのまた後ろに私が付いて歩く。ときさんの「サケが川を上るように、いつか夫は小さな寺の住職になるだろうと予感していた」という言葉通りになっていた。
成田に近い福泉寺で過ごす夫妻は、曹洞宗ボランティアとしてカンボジア支援に取り組み、小学校建設などに大きく貢献した、ときさんが「ここは東京から遠いけれど、世界に近い。無着は教育の天才です」と言い切っていたが、その意味は私にはまだ分からなかった。
(フリーライター・香川潤子、山形市・S49卒)
2023年11月6日山形新聞より